シッコ (2007 マイケル・ムーア)

ムーアが作品を発表するたびに批判が出る「自分の主張に都合が悪いデータを無視する」件。 公平を期してってことなのかパンフレットにもその点へのツッコミ文章が載せてあるんだけど、指摘してるのがデーブ・スペクターというあたり、作品の価値を下げない良い塩加減といえよう(ま、隣のページでインタビューされてんのがヨネスケ(突撃つながり)だったりするんで、まったく何も考えてないだけなのかもしれん)。
セーヌ川岸のカップルたちに「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」をかぶせて「僕らは何故フランス人のようになれないのだろう?」などといいつつホントは全然なりたいと思ってない様子とか、キューバと話がついてんだったら病人つれてグアンタナモなんか寄らずにまっすぐ行けよ、ていうかグアンタナモは帰りにちょっと寄ってるだけじゃねーの? なんてところでいちいち素に戻っていては楽しめない、単細胞な貧乏人にみせるためのエンタテインメント。細かく言えば最下層よりちょっと上、「映画館かレンタルビデオ屋に金を払って映画を観れる層」と、今回のテーマ「保険料は払ってるのに充分な医療が受けられなかった人々」というのはジャストフィットするように出来ていて(そこに現在のアメリカの医療制度が抱えている問題点が集中的に出ているからこそのテーマなわけだが)、一方で国民皆保険を実現しているイギリスの制度は医師へのしわ寄せは来ないのか?⇒いいえ大変良い暮らしをしています、と一例を挙げただけでそそくさと次へ進む、ムーアのターゲットへのアプローチの仕方はまったくもって正しい。フランスやイギリスにだって問題はあるかもしれんが今のあんたらの境遇と比べると天国にみえるだろ? 貧乏人は大怪我したり重病にかかったら死を待つしかないんだと当の貧乏人があきらめていてはもうなにも変わらないじゃん、ということであり、多少ヒネてはいるが俺も単細胞な貧乏人なのでぐっと来た。まあアメリカ人じゃないけどそこはそれエンタテインメントだから。
本作はアメリカ医療の現状報告と、何故ことは此処に至ったのかの追求が中心で、(ヨネスケが呼ばれるほどの)トレードマークであった悪党お偉いさんへの突撃取材はほとんどなくなり、その代わりにスクリーンに映るのは傷ついた人々だ。保険に入っていながら治療許可をもらえず夫や娘を失った人、決死の救出活動が原因でかかった病にも保険が下りない911のボランティア、治療費が払えず病院から片道タクシーに乗せられてダウンタウンの診療所前に捨てられた人…上映時間123分のうちおよそ半分の時間には何らかの形で傷を負った人々が映っている、これはそんな映画なのだが、思い起こして考え込んでしまうのは、会社の金を守るために保険の申請を次々却下したり、患者の病歴を洗いなおして不適格部分を見つけ許可取り消しにする仕事についていた人たちの姿である。自分の仕事をしたために何人もの人が助かるはずの命を落としていった、そのことに耐えきれず職を辞しカメラの前で告白して涙を流す人たち。これから彼らが自分自身を許せることはおそらく一生ないのだろう。
一方でそれらの何十、何百倍ものオーダーの人々の命を奪いつつ、平気でいる悪党お偉いさんは誰か?とほぼ名指しでぶちあげる命知らずな姿勢は健在。さらに自分のアンチサイトを運営する男の奥さんが難病にかかって治療費がかさみサイト運営が危ない、と聞き「僕にとっては良いニュースかもしれないが、奥さんの病気も治し僕の批判も続けられる、そんな国であるべきじゃないか」と敵に塩(小切手)を送る、お前偉そうだなーっとものすごく言いたくなるけど言わせない周到さも相変わらずです。